言わないことは損

受け身でいると、
この人は何言っても反発してこない人だ


という印象がついてしまう。



これは、損。



ときには、自分の意見を言って、反発して、押し通すぐらいの、強い気持ちを持って、人に言うべきです。


リワークで学んだ、断るスキルを使いながら、
相手を尊重しながらも自分を大事にして、
断ることで、身を守る。



こういうことを、してもいいんです。
できないことは、できないと、はっきりと言う。




人からどう思われてもいい。いい人をやめる。
そこからの脱却。




だけど、努力することは、忘れてはいけない。
努力していれば、味方を少しずつ増やしていける。
その味方が自分を救ってくれるときが、だんだんと出てくる。



復職後の働き方は、とても大事。




休職したことは、なにも後悔していない。


復職してからは、前しか見ていない。


限界がくる前に、休みましょう。気づきましょう。


自分を大事に、生きましょう。

復職して3ヶ月


復職をして、3ヶ月近くが経過しました。
思うところをつらつらと書いていきたいと思います。




7月から、少しずつ残業ができるようになってきました。これは大きな進歩です。
トータルで4時間くらいやりましたが、これを少しずつ増やしていけたら(無理に増やす必要はないですが)、いいなと思っています。




仕事の中身についても、淡々と行う仕事をしており、そこまで苦痛ではありません。





ただ、最近、自分の部署内で体調不良で1週間ほど休んだ方がいたので、ちょっと心配していたのですが、最近は出勤できるようになってきました。




自分は、その人に絶対辞めないで帰ってきてほしいと思っていましたし、そういう帰りやすい、居心地のいい居場所を作ってあげたい、そういう思いでずっといました。



やはり、休職すると、そういう方に寄り添えるようになります。気持ちがわかります。



それは、正社員に限らず、臨時職員やパートの人であってもです。


絶対に労働者を使い捨てにしたくない。
そういう気概を持って、一緒に働く人を大事にしていきたいと思っています。



休職したくせに偉そうに言うな
という声なんて関係ありません。



こうやってだれかが反発しないと、会社は一生変わらないから。





あと、休職中に、自分を支えてくれた人たちの、態度が変わってきました。




とても優しかったのに、優しくなくなりました。




あとあと聞いたら、あくまでも復職するまでは親身に支える。復職してからは、自分で考えろ。


というスタンスだったようです。





とても有り難い対応だと思いました。




いつまでも、過剰に、親身になられるのも、どうかと思いますからね。






あと、よく復職して来られたなとか、普通は辞めるだろとか、心無い言葉もかけられました。







こういう言葉は、全部ガン無視です。







そういう人にも、笑顔で対応できるようになりました。強くなったな、と思います。







わからない人には、絶対にわかってもらえません。
それが、休職するということです。








わかる人には、わかってもらえます。
それも、休職するということです。









わかってもらえる人のことだけ、考えましょう。

個人の時代


公務員と一般企業。



私はどちらでも働いたことがある。



それぞれメリット、デメリットがあったので、備忘録として記録する。







一般企業のメリット

とにかく利益を上げなければいけないので、いい意味で必死になれる。
ぬるま湯とは真逆の世界。
ノルマを達成するために、自分自身で工夫をするし、頑張れば頑張った分給料に反映されることが多い。


デメリット
逆に成果を出せなければ、給料が下がるし、下手したらリストラだってある。
休職者に優しくないことが多い。








公務員のメリット
とにかく福利厚生はいい。
休職しても、クビになることはないし、基本労働者は守られている。
仕事をそこまで頑張らなくても、昇給する。
景気に左右されず、必ずボーナスが出る。



デメリット
とにかく無駄な仕事が多い。
上司から決裁をもらうまで、時間がかかりすぎている。
融通がきかない組織体制。
何か新しいものを生み出す気概もないし、仮に生み出すことになっても、生み出すまでの時間が半端なくかかる。





もうすぐ2020年。
私が定年を迎えるのは、2050年頃か。





おそらくこれからの30年、想像以上に社会は変わっていくだろう。

次々とこれまでの常識を覆すことが起こるに違いない。それに自分たちは、上手く対応して、変化していかなければいけない。




そういう世の中になってきている。





変化に対応できないと、ますます苦しくなってきそうだ。





私は今公務員(正確に言うと公務員に準ずる団体職員)なのだが、




クリエイティブさはいっさい感じられない仕事をしている。



上司の判子をもらうことが、仕事の大半を占めている気がする。





こんなことしていて、大丈夫なのだろうかと、いつも不安になる。









これからは、自分はこれができる!このできることは、いろんな会社で重宝される!


というスキルを持っている人ほど、活躍できる社会になっていくに違いない。




最近はwebマーケティングというものに興味を持ち始めたので、独学で勉強している。






公務員が安定なのかどうか、今後は一概に言えないと思う。

仕事はますます増えてきているし、他の民間企業で通用するスキルは、ほぼ身につかない。
精神疾患にかかる人も例年増えてきている。
それが本当の安定と言えるのだろうか。楽しいのだろうか。




とはいうものの、メリットも少なからずあるので、すぐ辞めるなんてことはしないのだけれど、






常に疑問を持って、自分に足りないもの、身に付けたいものを補うために、時間を作ってコツコツ努力していくことが1番大事だと思う。







1つの会社に頼る、あてにする、しがみつく人生だけは歩みたくないな。

休職と結婚


例えば20代、30代と、


仕事が順調に進み、


結婚したとする。


子どもも2人ほどいるとする。




40代になり、仕事がきつくなってきて、上司とも合わず、初めて鬱になって休職したとする。





このとき、奥さんはどう思う?

心配したり、私が働かないと!ってなったり、
子どもの養育費はどうしよう…

ってなったりしますよね。



中には、なんでこの人と結婚しちゃったんだろう…という後悔や、




最悪、離婚という選択を選んでしまう人もいるかもしれない。




これ、人ごとじゃなくて、誰にでも起こりうる可能性があることですよね。





自分じゃなくて、奥さんがそうなる場合だって当然ある。




様々なことが原因で、子どもが不登校になることだってあるかもしれない。






ほんとうの夫婦って、こういう場面で、ちゃんと支え合えるかだと思う。






これができないならば、最初から結婚しないほうがいい。






人生において、就職と結婚は、とても大きな人生のイベントだけれど、





自分は結婚のほうが重いものだと思う。






今の時代、転職は当たり前になっている。
合わなかったら、仕事を変えてもいい。
いわば、仕事は「乗り換え」ができる。

約40年、同じ会社に居続けなくてもいいのである。






だけど、結婚は違う。



結婚は「乗り換え」なんて意識はない。



転職するつもりで、就職する人はゴマンといるが、


離婚するつもりで、結婚する人なんていない。





だから、自分は簡単に結婚はできない。(今のところ)






自信がないのである。
休職歴があるし、今後また休職する可能性だっていくらでもある。



こんな人と、結婚したいと思ってくれる人、いるのか?




もしそういう人と今後出会えたら、大事にしたいなぁ。






だから、ある程度の自信が持てるまで、自分は結婚しない。

簡単に、幸せにしますから!って、今の自分は言えませんよ。責任がとれません。



病気のことまで話して、相手も理解してくれるのであれば、それは本当にいい出会いだと思います。




苦しい場面に出くわしたとき、どれだけ一緒に乗り越えようと支え合えるか、

我慢し合えるか、


結婚するかしないかを決めるとき、こういうところもちゃんと見よう。
もちろん一緒にいて楽で、楽しいっていうのがまず第一ですけどね。










やっぱり、見た目よりも中身だよな、と気付き始めた、うつえもんでした。

復職後、会社と真っ向から闘う


久々にふと、電通の過労死事件のことを思い出した。



自分も長時間労働の辛さを3年ほど体験し、死にたくなる気持ちがよく分かった。





私は、耐えられなくなって、仕事から逃げ、休むという選択をとった。


エリートや責任感の強い人には、こういった選択肢は、頭の中にない。


「降りたら負け」の人生を生きているのだと思う。
この考え方は、苦しくなるよね。






そういう私自身も、もはやこの選択は、賭けであった。
休職をするということは、とても勇気のいることだし、賭けに近い。



はっきりいって、復職したけれど、半分降りた世界を毎日生きている感覚である。









それでも、死ななくてよかったと思ってるし、生きていてよかったと思っている。







だから、本当にヤバイときは、逃げてほしい。
死んでしまったら、なにもかもが、おしまい。






復職させてもらったのは、大変ありがたい。
ましてや本部ではなく、負担の軽い部署だから、なおさら感謝はしている。




だけれども、本部の過酷な労働環境は、変わっていない。次の犠牲者が、いつ出てもおかしくない。
これでは意味がない。






会社側にとって、私は不必要な人間なのかもしれない。本音を言えば、早く辞めてほしいのかもしれない。







でも、仮にいま、私が会社を辞めてしまったら、


いま本部で苦しんでいる人たちは、


「やっぱり、休んでしまったら、もう戻れないんだ。辞めるしかないんだ。」


と思うに違いない。



そうなると、苦しくても、休めない。
無理して頑張ってしまう。


そして誰かが休職する。
その休職者の仕事を、代わりにする人が出てくる。
その人たちの負担が増える。




ということになる。






いま私が辞めないで、


淡々と毎日の仕事を積み上げ、


少しずつ仕事ができるようになり、


仕事の量も増えていき、


いつか本部に戻ることができたら、


休職から復職への成功例となる。




それができれば、苦しんでる人たちの希望となる。




いま、私は実験台のようなものだ。
どう転ぶかはわからない。






最近は毎日定時で帰っている。
家族と晩御飯を食べ、睡眠もきちんと取れている。



将来は不安だけれど、とても幸せだ。




毎日をこんな感じで過ごせたら最高。
こんな生活を誰しもが送れる会社になればいいと思うし、こうなるべきだと思う。




社員が幸せになれば、活き活きと働ける。
はっきりいって、いまの社員はみんな顔が死んでいるし、不幸な感じが漂っている人がけっこういる。





そういう会社をこれから作っていくためにも、


たとえお荷物とか給料泥棒とか言われようとも、


私はもう少し闘い続けます。



















採用した社員をなめんなよ。







ぼったくりバーとブラック企業


先日、
「YouTuberがぼったくりバーに潜入してみた」
みたいな動画をたまたまみつけたので見ていた。




ビルのだいぶ上の階にそのバーがあり、簡単に外に出ることはできない店だった。




YouTuberは、お菓子とコーラを注文していた。
その請求額が、なんと9万円。




YouTuberは、ものすごい強心臓の持ち主なのか、店員に、なぜ9万円もとるのか、明らかにぼったくりですよね?と、何度も質問し、反論した。


店員は、しらばっくれて、この氷が何千円するとか、明らかにおかしな回答をしている。払うまで帰させませんとも言っている。


店員は見るからに悪そうで、怖い雰囲気があった。



ここで、YouTuberが一言。
「ぼく、YouTuberなんですよ。店入ってからずっとこの会話録音してます。このあとYouTubeにアップする予定です」



店員は
「はぁ?うわぁ、めんどくせぇ〜」

ここでいきなり店員の態度が変わりました。
素が出たかんじですかね。


結局、普通の代金払っていいから、動画には載せないでくれみたいな交渉で、この動画は終わったのですが。(店の名前までは本当に動画にアップしていませんでした)




何が言いたいかっていうと、これ、ブラック企業で社員が同じような対応したら、同じように会社側が嫌がるってことです。




人目につかないことを言いことに、何を言ってもいいと思っている人は腐るほどいて、
その人の目につかないところに、多くの被害者がいる。


目に見えないから、世間一般には全くわからないし伝わらない。過労死とかの報道がテレビでされて、初めて我々はその情報を知る。



死んでしまってからじゃ、遅いんですよ。
苦しんでいるときに、助けてあげられなきゃ意味がない。




自論ですが、例えば自分が勤めてる会社がブラック企業だったり、上司にとんでもない暴言を吐かれたり、パワハラを受けたと感じたときに、どんどん実名でSNSで発信していけばいいと思うんです。



そのメッセージを受け取る公的団体みたいなところを作り、そこがちゃんと受け止めて、罰を与えたり、ネットニュースにバンバンあげていけばいい。テレビとかのメディアだと政治的な権力とかあってなかなか難しいから、ネットで広めればいい。



ブラック企業は淘汰されるべきです。
労働者にとって、間違いなく百害あって一利なしの存在だと思います。




あきらかにおかしいことをしている人や会社に、

「めんどくさ」と思わせたとき、

その人や会社が変わるチャンスです


そこで変われない会社を、どんどん潰せる世の中になれば1番いいのですが。




SNS普及により、少なからず昔よりは労働者有利になってきているはず。
もっともっと労働者側が声を上げて、社会が変わっていかなきゃだめだと思います。

家は快適

社会に出ることは、なぜこうも辛いのか。


人それぞれ理由はあると思うけれど、私の場合は、

「刺激が強すぎるから」

が当てはまると思う。



私は家にいる時間が大好きだ。
そして、ひとりの時間も好きだ。
こうやってブログを書いて、思考を整理する時間が好きだったりする。

友達と外で遊ぶし、飲みに行くことも好きなので、決して引きこもりというわけではない。



なんだろう、邪魔をされるのが嫌いなのだろう。
自分の快適なゾーンに、できるだけ長く浸っていたい気持ちが、他の人よりも強いのかもしれない。



だから、私にとって社会は辛い場所だ。
至るところから、様々な人がやってくる。
いちいちそれに合わせるのが疲れる。




社会で活き活きとしている人を見ると、人種が違うなと思う。
あーゆー人たちは、人と会うこと、話をする事がエネルギーになっている。


私は、ひとりの時間に浸っているとき、エネルギーが回復する。充電が完了する。
そして、人と話すときにそのエネルギーを使い、消耗しているのである。



こういう人を「内向型人間」と呼ぶらしい。




社会は、外向型の人が合うようになっている。
これはどうしようもない、決して変えられない事実だから仕方ない。



もっと明るくしろとか、元気がないとか、いろいろ言われるけれど、仕方ないのである。
というより、普通に元気なのに、そう言われるとちょっとイラっとする。



性格、気質は変えられない。
無理に明るく振る舞っても、いつかボロが出る。
これは経験済みである。


学生のときは気にしていたが、いつの日か全く気にしなくなった。
このままの自分でいいんだと。


自分はこういう性格ですがなにか、ぐらい強気でいればいいと思えるようになった。
そしていつのまにかこんな自分を理解してくれる人が出てきて、さらに生きやすくなったと思う。



無理して明るい自分を演じなければいけない仕事に就いている人、無理しないでくださいね。
たぶん、そのうち苦しくなりますから。
素のままの自分で働ける場所っていうのが、自分に合った職場だと思います。




それでもやっぱり社会は疲れる。
それでも私は会社に行く。



家は快適ですが、疲れる社会があってこそ、それを感じられる。
休職中、ずっと家にいると苦痛になってきますしね。







漠然とした将来の不安があるけれど、次に向かってできること、少しずつやっていくしかないですね。





先のことは、先の自分がなんとかしてくれます。